東京都埋蔵文化財センター
発掘トピックス詳細情報
世田谷区殿山横穴墓群
| よみがな | せたがやく とのやま よこあなぼぐん |
|---|---|
| 発掘場所 | 世田谷区大蔵五丁目20番 |
| 主な時代 | 古墳時代(終末期) |
遺跡の特徴
殿山横穴墓群は古墳時代後期~終末期にかけての群集墳で、多摩川中流域左岸の野川(旧入間川)に面する武蔵野台地の南西端沿いに形成された国分寺崖線に掘削されています。平成27年(2015)に道路建設事業に伴い17基の横穴墓が調査され、墓からは鉄刀・刀子・鉄鏃をはじめ、装身具の勾玉・切子玉・ガラス玉などが多数出土しました。中には、刀の柄頭(つかがしら)に銀象嵌(ぎんぞうがん)の文様を有する鉄刀も見つかりました。また、横穴墓から出土した土器の年代から、少なくとも6世紀末葉頃には本横穴墓群が形成されはじめたことがわかりました。
殿山横穴墓群の周辺には、同時期に形成された殿山古墳群や大蔵古墳群をはじめ、喜多見稲荷塚古墳、陣屋古墳群、西谷戸横穴墓群、岡本谷戸横穴墓群などの重要な遺跡が多く分布しており、この地域が古墳時代後期以降における有力集団の墓域として利用されたことが窺えます。ただし、土丹層(どたんそう:硬く固結した粘土層で軟質泥岩ともいう)を掘削基盤とした横穴墓群は、多摩川流域左岸では殿山横穴墓群のみで、他は関東ローム層中に掘り込まれています。
今回、横穴墓群の北側を対象とした第3次調査が実施され、新たに18号墓と19号墓の2基を検出しましたが、19号墓は調査区外に開口することから18号墓のみ調査を行いました。
この他、旧石器時代・縄文時代・近世以降の遺構や遺物も少量ながら検出されました。
図1 殿山横穴墓群の位置【国土地理院:都市圏活断層図1/25,000より作成】
写真1 18号墓・19号墓の全景
トピックス
トピックス
18号墓は標高20~23mの土丹層を刳り抜いて掘削されており、西向きに開口します。墓は外部構造である前庭部(写真2・3)と内部構造の墓室(写真4)に大きく区分されます。
前庭部の前壁と側壁面には幅10cm程の切込み溝が設けられ(写真3)、羨門(せんもん:墓の入口)上部は前方に削り出されていました。これらは基盤層から滲み出た地下水を流すための排水溝であると同時に、羨門部を強調するためのものと推定され、他地域では例を見ない特異な構造です。当初、前庭部の南壁際には崩れ落ちた土丹ブロックが多く検出されたことから、横穴墓の掘削時に外壁が崩落したため、墓室の掘削位置を北側にずらしたと考えられます。このことから、この横穴墓が土木的知識と技術を有する工人らによって掘削された可能性があります。
墓室は全長4.9mで床全面に約2,200個の玉石が敷かれ、礫床を形成していました。埋葬空間の玄室平面は1.9×2.2mの胴張り方形を呈しており、奥壁は高さ1.2mと低く、半ばドーム状を呈していました。羨道(せんどう:羨門と玄室を結ぶ通路)と玄室(げんしつ:遺体を安置する場所)の境は明確で、羨道は全長2.7mで比較的長く造られていました。羨門は長径10~30cmの1,000個あまりの河原石で塞がれており、閉塞礫は長辺を墓の主軸方向に並べて積まれていました。その形状は横穴式石室の「小口(こぐち)積み」を彷彿とさせます。
玄室からは耳環(じかん)3・勾玉6・土玉2・刀子(とうす)などが検出され、その出土位置から最低でも2体が葬られたことがわかります。なお、勾玉を副葬する埋葬主体は、歯の特徴から小児の可能性が高いとみられます。
玄室と羨道の壁には掘削時の工具痕が明瞭に残されており、天井頂部から下部に向けてチョウナ様の工具により肋骨状に削り整形されていました。これらの壁の表面はきわめて平滑に仕上げられていました。

写真2 18号墓の前庭部

写真3 前庭部の切込み溝

写真4 18号墓の墓室(羨道から玄室を見る。)

写真5 勾玉の出土状況

写真6 18号墓出土の遺物
18号墓は開口方向や位置からみて、南側にある3号墓・19号墓と同じグループ(単位群)を形成するもので、墓室構造や出土遺物の特徴から、6世紀末葉~7世紀初め頃に掘削され、7世紀半ば頃まで使用されたものと推定されます。3号墓が武器類を多く副葬するのに対し、18号墓は装身具主体であることから、被葬者の性格の違いを如実に示しており、横穴墓における埋葬原理を検討するうえでも、重要な資料と言えます。

図2 殿山横穴墓群の配置
(2026年8月現在)









