東京都埋蔵文化財センター

発掘トピックス詳細情報

築地市場跡遺跡(隅田川スーパー堤防地区)

よみがなつきじしじょうあといせき(すみだがわすーぱーていぼうちく)
発掘場所中央区築地6丁目地内
主な時代近世・近代

遺跡の特徴

 築地市場跡遺跡(中央区N0.140)は中央区築地五丁目・六丁目地内に所在します。今回の調査対象地は遺跡範囲の隅田川堤防沿いの地点にあたります。発掘調査は今後スーパー堤防が整備される築地地区で行われています。

築地は武家屋敷地の土地確保を目的として承応3年(1654)に木挽町先の海上の埋立てが開始され、明暦の大火(1657)後の復興開発でこの一帯が造られました。現在の調査対象地点は当初の町屋から始まり、御米蔵・堀田相模守・紀伊殿を経て、幕末には講武所・軍艦操練所が設置されます。

明治に入ると海外からの要人を受け入れるために日本最初の洋式ホテルである築地ホテル館が建てられましたが、明治5年の銀座大火により焼失し短い期間を終えました。それ以降は海軍省用地となりますが、大正12年(1923)の関東大震災で大きな被害を受けた日本橋魚河岸などがこの地に移転して臨時の東京市場魚市場が開設され、昭和10年(1935)に中央卸売市場(築地市場)として正式に開業されました。

今回の発掘調査では築地地区における河川側の開発の様子をうかがい知ることができます。

1 図1 調査対象地(隅田川スーパー堤防地区遺跡地図).jpg

図1 調査対象地(赤丸地点。東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスに調査対象地を加筆して作成)



トピックス

 調査は令和年3月から始まりました。江戸時代と明治時代以降の遺構と遺物が確認されています。本調査では、隅田川沿いの調査を行うことで護岸整備の経緯が明らかにされつつあります。

写真1は江戸時代から明治時代にかけて作られた石積遺構が発見された状況です。現在の堤防と後方に見える勝鬨橋(かちどきばし)との位置を対比できます。中央奥まで続く石積遺構に続き、写真奥で川側に折れる石積みは、海軍省時代の地図(図2)にも確認される突堤部分になります。石積みの上部は旧築地市場の建物基礎等により壊されていました。

3 写真1 確認された石積遺構と現在の隅田川2.jpg
写真 確認された石積遺構と現在の隅田川

2 図2 海軍造兵廠突堤部2(隅田川スーパー堤防地区).jpg
図2 海軍造兵廠突堤部(築地海軍用地構内建物配置図に加筆して作成)

写真2は今回発見された石積遺構を南東側(隅田川側)から撮影したものです。石積遺構の陸側(写真奥側)は、明治時代当初は築地ホテル館が建っていた場所と考えられます。

4 写真2 石積遺構を突堤側から撮影2.jpg
写真 石積遺構を突堤側から撮影

(2026年7月現在)